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共和政ローマ

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イタリア半島統一期

初代のローマ皇帝アウグストゥス帝の時代の叙事詩ヴェルギリウスの『アエネイス』や歴史書リヴィウスの『ローマ建国史』によると,ティベレ川沿いに双子の兄弟ロムルスとレムスが住みつき,前 753 年(伝説)にローマの町が誕生した。ラテン人もしくはイタリア人が建てた町だ。

 当初は北のトスカーナ地方を本拠とするエトルリア人に支配されていたが,前509 年にエトルリア王を追放し,共和政ローマがスタートした

 共和政というのは君主政の否定用語,共和政こそローマの本質だ。元老院(セナトゥス)において貴族(パトリキ)が政権を担った。執政官(コンスル)は定員2名で任期1年,独裁官(ディクタトル)は非常時のみ1名置かれ任期は半年だった。

 イタリア半島統一事業においてローマ市民が重装歩兵として活躍し始めると,前494 年の聖山事件をきっかけに護民官が設置され身分闘争がはじまった。平民会も置かれ,前 450 年には成文法の十二表法が制定される

前 367 年のリキニウス = セクスティウス法で執政官の一人が平民から選ばれ,かつ貴族の大土地所有が制限されることになる。

前 287 年のホルテンシウス法において,平民会の決定が元老院の承認をへずに国法となることになり,時代は民主的な共和主義の時代になる。

 この時期,ローマは中部のラテン人の領域のみならず,北のエトルリア人,南のギリシア人を平定,前 272 年にはギリシア人の都市タレントゥムを攻略しイタリア半島を統一した。ローマの半島支配を分割統治と呼ぶが,これは各都市の待遇に差をつけて団結を防ぐ方策だ。この半島統一期にローマから南に向けてアッピア街道が敷かれた(前 312)。

ポエニ戦争

現レバノンのティルスを母市とするフェニキア(ポエニ)人の都市カルタゴとの間にシチリア島をめぐり第1回ポエニ戦争が始まった。ローマが勝利し,シチリア島を獲得。ローマ初の海外領土つまり属州(プロヴィンキア)となる。

以後,属州はローマ総督により治められ,徴税請負人とともに支配した。後者はのちにローマ社会において新興成金階級である騎士階級(エクイテス)を形成した。

イベリア半島(現スペイン)からカルタゴの将軍ハンニバルがアルプスを越えローマを攻め,ローマの食料貯蔵所カンネーで一時ローマを破るが,結局ザマの戦い(前 202)でローマが勝利し第2回ポエニ戦争もローマが勝った。第3回もスキピオ将軍の活躍でローマが勝利し,カルタゴは滅亡しローマの属州となる。

ローマはハンニバルと同盟関係にあったアンティゴノス朝マケドニアをすでに前168年のピュドナの戦いで負かしていたが,マケドニアも正式にローマの属州とした(前 146)。カルタゴ炎上を目撃したのが政体循環 論のポリビオスでスキピオの友人だった。

内乱の一世紀

「カルタゴの許可なしにはローマ人は地中海で手も洗えない」といわれた時代は過ぎ去った。こうしてローマは西地中海の覇者となり農業国から商業国へと変貌をとげる。前 133 年には小アジアのペルガモンを属州化。この土地を貧民に分配すべく改革をはじめたのが,グラックス兄弟でリキニウス・セクスティウス法を復活させようとしたが失敗に終わった。内乱の一世紀は,グラックス兄弟の改革が始まった前 133 年に始まった。

属州からの安い穀物が流入し中小農民は没落,この時期奴隷による果樹栽培を主とする奴隷を使用したラティフンディアという大農場経営が始まった。これがグラックス兄弟に改革を決意させた。

没落農民は遊民化しローマの町に流入していた。彼らを「パンとサーカス」で操ったのが,富裕なパトリキと富裕なプレブス(平民)により形成された新貴族(ノビレス)だ。遊民を私兵化し軍制改革をしたマリウスの平民派とスラの閥族派が対立した。スラが平定したのが,イタリア半島内の同盟市がローマ市民権を要求した同盟市戦争で,結果として市民権が与えられた。ローマの新興支配勢力は,娯楽とくに剣奴の戦いを見せ物として提供し人気を得,自らの権力の基盤としていた。

三頭政治

シチリア島では奴隷反乱が起きた。前 73 ~ 71 年に剣奴スパルタクスが反乱を指導した。この反乱を圧したのが,ポンペイウス(前 64 年にセレウコス朝シリアを属州化しエルサレムをも支配,地中海の海賊も征伐)と騎士階級のクラッススで,二人はカエサルとともに私的な同盟を結び第1回三頭政治を行った。

 クラッススはパルティアに遠征しユーフラテス川付近のカルラエの戦いで戦死した。属州ガリア(現フランス)総督カエサルは「寨は投げられた」と言いルビコン川を渡り,元老院と組んだポンペイウスと対決,撃破した後エジプトまで追撃し,そこでプトレマイオス朝の女王クレオパトラと遭遇し結婚,息子カエサリオンを連れてローマに凱旋した。ローマでインぺラトル(軍司令官)を名乗ったカエサルは,さらには終身独裁官(本来は任期半年)となり,エジプトの太陽暦をもとにユリウス暦を定め,属州の徴税請負制度を廃止し,元老院を軽視しつつ権力を自らに集中させたので,共和政の危機を感じた元老院派のブルートゥスらにより暗殺された。

「ブルートゥス,おまえもか!」

 次いでクレオパトラは第2回三頭政治のメンバーであるアントニウスに接近そして結婚。レピドゥス失脚後,この夫婦は三頭政治のもう一人のメンバーであるオクタヴィアヌスにアクティウムの海戦で敗れ(前 31)翌年に自殺,こうしてプトレマイオス朝およびヘレニズム時代そして古代ローマ史における「内乱の一 世紀」が幕を閉じた(前 30)。

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