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古代ギリシア

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エーゲ文明

エーゲ文明は前半が前 20 世紀からのクレタ文明,後半が前16世紀からのミケーネ文明。

クレタ(ミノス)文明はギリシア人による文明ではない。
民族系統不明のクレタ人だ。

クノッソス宮殿について。イギリス人エヴァンズはクノッソスで見つかった文字をクレタ人の文字である線 文字A(未解読)とクレタを征服したアカイア人(ギリシア人)の文字である線文字 B(イギリス人ヴェントリスが解読)とに分類した。クノッソス宮殿には城壁がなく,海洋生物が写実的に明るく平和的に壺や壁 に描かれている。青いイルカの壁画がひときわ目立つ。

 ミケーネはギリシア本土で戦闘的な発掘物が特色だ。

大切なのは,アカイア人つまりギリシア人による最初の文明であること。他にティリンスを覚えよう

ドイツ人シュリーマンが発掘した。ミケーネ文明は「海の民」により滅亡したというのが定説。シュリーマンは 19 世紀のドイツ人で幼少時にホメロスの『イリアス』『オデュッセイア』を読んでトロイア戦争に興味を持った。老年期に入る時期に多言語を習得し,古ギリシア語の解る若い女性と結婚し,その助けで発掘に成功した。シュリーマンの著作は『古代への情熱』。

暗黒時代とポリスの形成

暗黒時代とは文字の記録の残らない時代という意味だ。
しかし,ギリシア的なものが全て整った時期と言える。オリンポス12神,神話,神殿,ポリス…。

 バルカン半島を南下したギリシア人の第1波がアカイア人やアテネをつくったイオニア人やテーベをつくったアイオリス人。第 2 波が鉄器も持って南下してきたドーリア人。ドーリア人はスパルタをつくった。エーゲ海を北からアイオリス人,イオニア人,ドーリア人という配置で東へ渡った。

アテネは有力者を中心にゆっくりとシノイキスモス(集まる)した集住型ポリス(アッティカ地方型),

スパルタは先住民のポリスを乗っ取った征服型ポリス(ラコニア地方型)ということになる。だからスパルタ市民は皆が戦士。経済活動は周辺民ペリオイコイと被征服民ヘイロータイにやらせ軍事訓練に励んだ。ヘイロータイの反乱に備えるためだ。これが元祖スパルタ教育だ。

2人の王が支配するスパルタの伝説的立法者はリュクルゴス。厳格な軍国主義で貴金属貨幣の流通は禁止する鎖国政策。ペロポネソス半島ラコニア地方にありスパルタ人はラケダイモンを自称した

海外植民市

ギリシア本土は国土が石灰質。まずオリーブ,次いでぶどうが産物であり,主食に供する小麦の産出に適さない。だから,ギリシア人は南フランスあたりの地中海からクリミヤ半島あたりの黒海北岸にまで植民市をつくりつつ広がり住んだ。

 フランス第2の都市マルセイユ(マッサリア),イタリアの都市ナポリ(ネアポリス),タレントゥム,シラクサ,トルコ第1の都市イスタンブル(ビザンティオン),ミレトスなど。その間に異国の言葉を意味不明の雑音と感じそれを発する異人をバルバロイとみなす。その中でギリシア人のことは同胞つまりヘレネス,ギリシア人の国土をヘラスと意識した。

ポリス世界

ギリシア人の諸ポリスは都市と周辺の農村から成る。水源をめぐり常に抗争する。統一へは向かわない各々が独立国家だ。ポリス同士はライバルだけど,同時にヘレネスとしての同胞意識もある。ギリシア語・オリンピア祭典(第1回オリンピック・前 776 年を覚えよう。前8世紀からが本格的古代ギリシア史だから)・アポロン神によるデルフォイの神託・同じ神を戴く隣保同盟・ホメロスの物語を共有していることなど…が同胞意 識を育んだ。

 ポリスでは重装歩兵がファランクス(密集戦法)で活躍するから,発言権が増し参政権が拡大,政治的に平等になる,つまり民主的になる。また,貨幣経済が深化すると社会が流動的になり再編成される。オリエントの西の端,小アジア西部に位置するリディアの鋳造貨幣の影響もそのうち加わってくる。

 信仰と防衛の中心の城山がアクロポリス,裁判・民会・交易のための公共広場がアゴラ。市民はクレーロスという私有地を保有する農民で,租税はないが自弁の武器で従軍する義務がある。

アテネの民主化

王政
→貴族政(ドラコン,前 621)
→財産政治(ソロン,前594)
→僭主政治(ペイシストラトス,前 561)
→民主政治の確立(クレイステネス,前 508)
→民主政治の完成(ペリクレス,前 443 ~ 429)
→衆愚政治。

 アテネはシノイキスモス型だから有力者つまり王のもとに集住した,これが王政。
次に複数の貴族による統治,これが貴族政。
再編成された社会に対応するためドラコンによる立法。財産の所有にもバリエーションが生じ参政権を財産の額に応じソロンは参政権を決めた。貨幣経済は借金と債務奴隷を生んだが,彼は重装歩兵を確保するために借金を棒引きした(重荷おろし)。

貴族から土地を取り上げ貧民に分配する荒業をやってのけ人気を博し僭主つまり独裁者となったのがペイシストラトス。しかし息子ヒッピアスが暴君になったので,クレイステネスはオストラシズム(陶片追放)で僭主出現を防止した。

当時のアテネには陶器の破片は至るところに落ちていたらしい。それはオリーブオイルとワインが主産物だったから。彼はさらに4部族制という血縁から 10 部族制という地縁に改変し貴族による政治独占も防止した。また将軍職を設置した。こうして民主政治が確立した。

ペルシア戦争

前5世紀にアテネが遭遇した世界大戦,それが歴史家ヘロドトスが描いた(アケメネス朝)ペルシア戦争(前 500 ~前 449)だ。

 騎馬ば民族スキタイに圧迫されたアケメネス朝は経済的に困窮し,小アジア西部イオニア地方のギリシア人諸都市に対し課税を強化した。ミレトスを中心にギリシア人が反乱を起こすとミレトスの母市アテネがこれを支援。それに対しアケメネス朝のダレイオス1世がエーゲ海に派兵した。第2回ペルシア戦争のマラトンの戦い(前 490)ではミルティアデスが指導しアテネの平民が重装歩兵として活躍した。第 3 回ペルシア戦争ではテルモピレーの戦いでスパルタ王レオニダスがペルシアに敗れ全滅,またクセルクセス1世の派兵でアテネのパルテノン神殿も焼失し絶体絶命のピンチ。しかし,サラミスの海戦(前 480)ではテミストクレス指揮のもと無産市民が三段櫂船の漕ぎ手として活躍し勝利,戦後の政治的地位を向上させた。もっとも救国の英雄テミストクレスは傲慢になり,後に陶片追放になりアケメネス朝ペルシアに亡命する。

 ペルシア戦争は翌年のプラタイアの戦いに再びアテネが勝利し,事実上決着がついた。この戦いの前 479 年から前 429 年(ペリクレスの死)までの 50 年間がデロス同盟の盟主としてのアテネ黄金時代だ。

アテネ黄金時代

ペルシアの再来に備え結成されたデロス同盟だが,その共同基金を流用しペリクレスはドーリア様式のパルテノン神殿を再建した。神殿再建は,友人フェイディアスが監督し彼の作品アテナ女神像も安置された。 アテネ民主政治が完成した。

 民会が国権の最高機関で官職は抽選,しかし将軍職だけは例外でペリクレスは何度も再任され「事実上の独裁」だったと歴史家トゥキディデスは述べた。

 現在の我々の時代の民主政治との相違点は,

①直接民主政であったこと
②18才以上の男子市民にのみ参政権つまり婦人参政権がなかったこと,
③奴隷に参政権がなかったこと(ラウレイオン銀山などで生産奴隷として働く),の三点だ。

衆愚政治

 明治時代の偉人が民主主義と訳した英語の元々のギリシア語 demokratia はデーモス(民衆)とクラトス(力・支配)の合成語。実態は民衆制といったところだ。

仮に,場当たり的な言説(デマゴギー)を吐き散らかす煽動政治家(デマゴーゴス)が登場し民衆を刺激しつつ操れば,愚かな道へと進んでゆく。

 この時期ソクラテスはデマゴーゴスの代表格アルキビアデスと付き合いがあったので煽動罪で自害を命じられ「悪法もまた法なり」と言って毒杯をあおいだ

 ペリクレスの死の2年前にペロポネソス同盟の盟主スパルタとのペロポネソス 戦争が始まったが,スパルタが勝利した。(ペリクレスの戦没者葬送演説に自由 や民主政治という言葉が登場する)

 そのスパルタもテーベにレウクトラの戦い(前 371)に負け(テーベのエパメイノンダスの戦術による)覇 権はテーベに移る。しかしもはや重装歩兵による市民皆兵から傭兵の時代へと時流は移り,公共的空間としてのポリスも変質し,ギリシア世界を束ねる指導的な役割を担えるポリスはもはや存在しない時期に入っ ていた。


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