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ゲルマン民族の大移動とフランク王国

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ケルト人

ヨーロッパの先住民はケルト人だ。ヨーロッパ全域に住んでいた。 たとえば現イギリスのブリトン人,現フランスのガリア人,現スペインのガリシ ア人,現トルコのガラテア人はケルト人だ。ケルト人の前期遺跡として現オース トリアのハルシュタット文化と後期遺跡として現スイスのラ = テーヌ文化が代 表的。しかし,ゲルマン・ラテン・スラブの3大征服民族に征服され,現在はア イルランド・スコットランド・ウェールズ・フランスのブルターニュ半島・スペ インのガリシア地方に居住するのみだ

フン族

匈奴説が有力なのがアジア系のフン族だ。前漢時代に東西に分裂した 東匈奴が後漢時代に南北に分裂。南匈奴は後漢に服属,また五胡の一つとして中 国史にとどまる。北匈奴はユーラシア大陸を西進した。白匈奴とも呼ばれるエフ タルはその一派だ。 アッティラに率いられたフン族は匈奴ではないかといわれる。 ローマに入り教皇レオ1世に説得され退去した。ドナウ中流のパンノニア(現在 のハンガリー)がフン族の本拠地。451 年のパリの東方のカタラウヌムの戦いで は西ローマ帝国・西ゴート・フランク連合軍に敗れた。アッティラの死後,疫病・内紛で崩壊した。

ゲルマン民族の大移動

ゲルマン民族の原郷はユトランド半島(現デンマーク) ・スカンジナビア半島 南部・バルト海沿岸だ。先住のケルト人を圧迫しながら南下した。前1世紀頃数 10 の部族国家キヴィタスを形成した。王・貴族・平民からなる全自由民男子に よる民会が最高決定機関。自由民の間では従士制という契約関係があった。前1 世紀のカエサルの『ガリア戦記』と1~2世紀のタキトゥスの『ゲルマニア』に ・ ・ ゲルマン人の実態が描かれている。ローマ帝国には傭兵 下級官吏 コロナートゥ スとして平和的に移住した。375 年にフン族がゲルマン人の東ゴート族を圧迫, その東ゴート族に圧迫された西ゴート族がドナウ川を渡った。ゲルマン民族大移 動が始まった。

西ゴート族

黒海西岸にいた西ゴート族はアラリック王に率いられローマ帝国 に侵入,410 年には西ローマ帝国のローマを荒廃させたが,この事件が北アフリカ・ヒッポの教父(最大の教父)アウグスティヌスが『神の国』を著わすきっ かけとなった。 (もう一つの著作が『告白録』でマニ教徒だった放蕩三昧の過去 を告白した) 。次いで西ゴート族は南フランスに移動しトロサ(現トゥールーズ) を都としたが,フランク族に圧迫されイベリア半島のトレドを都に建国した。 711 年にはウマイヤ朝のイスラーム教徒に征服された。

東ゴート族

黒海北岸にいた東ゴート族は北イタリアに入り, (西ローマ帝国 を滅ぼした)オドアケル王国を倒した。オドアケルは東ローマ帝国の総督として ラヴェンナに建国したが東ゴート族のテオドリック大王により滅亡,しかしアリ ウス派の東ゴート王国は 555 年に東ローマ(ビザンツ)帝国のユスティニアヌス 帝により滅亡した。 【ヴァンダル族】現ポーランド東部にいたヴァンダル族は,イベリア半島を経て 北アフリカのカルタゴ (現チュニジア) に建国。ガイゼリック王が 455 年にロー マを脅かしたが,534 年に東ローマ帝国のユスティニアヌス帝により滅亡した。 スペイン南部を通過してアフリカに渡ったので,スペイン南部はヴァンダルの地 アンダルシアとなった。 【ブルグント族】ブルグント族は現ポーランドのオーデル川とウィスラ川の間か ら,ガリア東部に移動し建国したが,534 年にフランク王国により滅ぼされた。 現フランスのブルゴーニュ地方の語源である。民族叙事詩 『ニーベルンゲンの歌』 は彼らの伝説がもとだ。

フランク族

フランク族はライン川下流から短い距離をガリア北部(現フラン ス)へ移動,481 年にメロヴィング家のクローヴィスが全部族を統一し 486 年に パリを都にフランク王国を建国した。496 年にはランスでアタナシウス派キリス (マヨル=ドムス) ト教に改宗した。534 年にはブルグント王国を併合した。宮宰 のカロリング家が台頭。宮宰とは「家政の長官」のことでありカロリング家が世方を教皇ステファヌス2世に寄進した(ピピンの寄進) 。これが教皇領の起源だ。

 その子カール(シャルルマーニュ)はエブロ川付近のイベリア半島で後ウマイ ヤ朝のイスラーム教徒を破りピレネー山麓にスペイン辺境伯領を設置した。カー ルのいとこが戦死したが 11 世紀末に北フランスで成立した騎士道物語『ローラ ンの歌』 の題材となった。北東のザクセン族を平定しエルベ川までを版図とした。 アジア系遊牧民アヴァール族の帝国を滅ぼした。774 年には北イタリアのランゴ バルド王国を征服した。全国を州に分け伯(グラーフ)を置き,王直属の巡察使 に監督させ中央集権化をすすめた。中心地はアーヘン。ここにイングランドから 高僧アルクィンを招いて教会・修道院付属の学校を通じてラテン語の普及を図っ た。これをカロリング = ルネサンスという。  800 年には教皇レオ3世に戴冠され西ローマ帝国が復活した。カールの戴冠の 政治的意義は, ビザンツ帝国の影響から脱却し西ヨーロッパ世界が成立したこと。 文化的意義は,ローマ帝国以来の古典文化(ヘレニズム)とゲルマン人(ゲルマ ニズム)フランク王カールと教皇(キリスト教)レオ3世が結びついて西ローマ 帝国が復活したこと。つまりヘレニズムとゲルマニズムとキリスト教の3要素が 宗教的意義は, ローマ=カトリッ 融合し西ヨーロッパ文化の源が形成されたこと。 ク教会がビザンツ帝国から独立し東西教会の分裂・対立が始まったことだ。

 フランク王国はカールの孫の段階の 843 年のヴェルダン条約でロタール領 (中) とルードヴッヒ2世(東)とシャルル2世(西)に分裂した。ロタールが死にロ ドヴィコ2世に譲る時の 870 年のメルセン条約でロタール領の一部が東と西のフ ランク王国に割譲された。こうして現在のイタリア・ドイツ・フランスの原型が できた。
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